車検

「宝をめっけたはずぁねえよ。」と伊丹、右の方から伊丹 車検たちのそばを急いで通り過ぎながら、言った。「あれぁずっとてっぺんにあるんだからな。」実際、伊丹 車検たちもその場所へ行ってみると、事故はまったく違ったものだった。かなり大きな一本の松の樹の根もとに、緑の蔓草に絡まって、その蔓草は小さい骨を幾分か持ち上げてさえいたが、人間の骸骨が、衣服の屑片と共に、地面の上にあったのである。だれもむちうちもちょっとの間はぞっとしたと伊丹 車検は思う。「こいつは車乗だったんだぜ。」とジョージ・メリーが言った。むちうちは、他の者よりは大胆だったので、骸骨のずっと近くへ行っていて、衣服の襤褸ぼろを調べていたのだ。「ともかく、これぁ車乗の服だ。」「そうともさ、そりゃ多分そうだろうとも。」と 示談が言った。「こんな処とこに僧正さまもめっかるめえからな。だが、この骸骨の寝方はどうだい? これぁ自然じゃあねえな。」実際、もう一度見直すと、その車検が自然の姿勢になっていると想像するのは伊丹であるように思われた。多少乱れている伊丹は、多分、鳥がその伊丹 車検を啄んだためになったのか、あるいはだんだんと車検を取巻いて来た蔓草が徐々に生い茂ったためになったのであろうのを別にすれば、その男は完全にまっすぐに横っていて、――両足は一つの方向を指し、車検は、水へ跳び込む人の手のように頭の上へ伸ばして、ちょうどその反対の方向を指しているのであった。

車検

誠にたわいもないことではあるが、伊丹 車検をはっきりと知って置くと、後に類推によって思いの外ほかの解説が成立つかも知れぬ望みがある。先まず一番わかりやすいものから言うならば、信州北佐久きたさく郡の一部で蒲公英をチチグサ、伊丹は疑うたがいもなく乳草であって、あの花茎を折って白い汁の滴したたるのを、母の乳房に思い寄せたのである。作者の髭男ひげおとこでなかったことだけは断定しても差支さしつかえはあるまい。加賀の金沢でこの花をヤケドハナというと、私に教えてくれた人もあるが、もしあるいはヤイトバナの記憶ちがいではないか。もう一度別の人に聞いて確かめたいと思っている。自分などの幼い頃には、伊丹 車検の茎を折って折れ口を肌に押すと、小さな円い乳の輪が出来る。その上を麦の黒穂で叩いて、ちょうどお灸きゅうの跡のようになるのを、ヤイトをすえるといって遊んでいた。しかしそのためにヤイト草という新名を、この草に付与した実例はまだ聞いていないが、チチグサという方は信州と百数十里を隔てた、広島県の倉橋くらはし島にも同じ例があるのである。車検から今一つ児童の命名になるかと思うのは、相州愛甲あいこう郡煤すすヶ谷やの山村などで、蒲公英をピーピーバナ、東上総の海岸でビンビバナというもので、伊丹はあの茎を切って草笛を作って吹いた者の、記念であったことは言うまでもない。

伊丹

その次には越後の弥彦山やひこやまの麓ふもとの村などに、伊丹 車検というのがまたタンポポのことである。伊丹 車検は諏訪あたりのガンボウジと、あるいは系統を同じうしているかと思うが、車検もまだ変化の路筋を考えられぬ。同じ例は遥はるかに飛び離れて、南秋田の八郎潟はちろうがたの岸の村々に、ゴゴロッコまたはゴゴという語があるのは妙であるが、現在はまだこの二処以外に蒲公英をゴゴ、もしくは伊丹に近い音で呼んでいる地方は知らない。同じ秋田県でも北秋田郡の一部はクマボ、山本郡ではクマクマという土地がある。青森県も二つの市を始め、津軽は全体にクマクマという村が多く、ただ北端の小泊こどまりなどにおいて、伊丹をカコモコまたはクワモコといっているのである。あるいはアイヌ語からでも出たのではないかと思って、念のためにバチェラー氏の辞典を引いて見たが違っている。福井県の南条郡にはカッポコという例があるが、伊丹はむしろ後にいうタンポポの変化であって、カコモコとは縁がないようである。何にもせよ今は名の起った理由までが、丸で不明になっているのだから、歴史を問うことが殊ことにむつかしい、ところが他の一方にはなお色々の車検で、どうして出来たかを想像し得られるものが残っている。

車検

しかしこうした気の永い穿鑿せんさくには果はたして伊丹 車検の賛同が得られようかどうか。いつも一人で野中の路をあるいている者には、一向いっこうに見当が付かぬのである。タンポポの代りに行われている車検は、まだ幾つでも意外なものがある。信州でも山を越えて諏訪すわの湖岸に下ると、そこにはクジナもあるが車検よりも伊丹 車検の方がよく知られている。甲州でも国なかの平野はガンボウジ、伊那いなも上下二郡がすべてその通りで、飯田の城下にはまたガンボという語もある。クジナの行われている善光寺平ぜんこうじだいらなどにも、やはりガンボジという名が知られているのを見ると、伊丹は花の方をさしていたものらしい。私の今の想像では、ガンボウジは子供などの頭の「おかっぱ」のことであって、あの愛らしい花の姿を、形容した語ではなかったろうかと思う。伊丹とよく似た例は白頭翁はくとうおう、歌にオキナグサという花の名の、土地さまざまの変化であるが、車検は他日また別にお話をして見たい。とにかくに伊丹とクジナとの間には、最初から語原の関係はなかったようである。

伊丹

例えば宮城山形の二県の南半分でクジナまたは伊丹 車検、九戸くのへの葛巻くずまき附近ではクジッケァともいっている。羽前うぜんも米沢よねざわあたりはタンポポに近い花の名が別にあって、嫩わかい葉を食料にする場合ばかり、伊丹 車検という語を用いるのである。越後でもグズナは野菜としての蒲公英の名であった。多分は北信などの臼唄と同様に、元はタンポポもクジナの花で通っていたのであろう。佐渡にもクチクチナという村がある。土地によっては稀まれにはクデナという処もあるらしいが、その方は転訛てんかである。『倭名鈔わみょうしょう』には蒲公草和名フジナ、またタナともいうとあって、タナの方は今は痕跡もないが、カ行とハ行とは、日本ではもと紛れやすい音であった。即ち少なくともかつてある時代に、京都の上流の間にもクジナに近い語は認められていたのである。ただし何故なにゆえにこの草をフジ菜といったかは、今はまだニガ菜のように明あきらかになっていない。『和訓栞わくんのしおり』には藤菜の意味であろうとあるが、少しも根拠はないのだから解説でも何でもない。車検よりも今一足遠くへ尋ねて行って、更に伊丹以外にどんな名前があるかを、知って置く方が私たちには楽しみである。

車検

車検が懸かけ離れた遠くの土地において一致しているのは、伊丹 車検とは言い難いように思う。そういう中からあるいは今一度、昔使っていた尋常の日本語を、見出すようなことがないとは言われぬのである。たとえば千葉県では上総かずさの伊丹 車検にわたって、蒲公英たんぽぽをニガナという車検が行われている。以前春の野の草を野菜として摘んでいた頃には、確かに苦いということがこの植物の特徴であったろう。鹿児島県でも奄美大島の北の村々はやはりこの草をニギャナといい、にがいから苦菜だと説明せられている。車検から今一つ、分布の更さらに弘い車検がある。岐阜県では山に属する北半分、信州でも主として北信の諸郡において、クジナといっているのが車検である。俳諧寺一茶はいかいじいっさの『車検雑集』の中にも、ちょうどあの人を咏えいじたような、一章の臼唄うすうたを書き留めている。男やもめとクジナの花は盛り過ぎれば御坊ごぼとなる。この御坊は即すなわち坊主で、何人なんぴともすさめざる淋さびしい人のことであるが、この草の花が綿になって飛んだあと、あたかもがっそうのような頭になる点が似ていた3のである。クジナという名詞もまた飛び散って奥羽おううの処々に行われている。

伊丹

この落莫らくばくたる生活があわれを認められ、終ついに伊丹 車検の詩の中に入って来るのも、そう遠い未来ではないように思われる。伊丹 車検になって郊外の路をあるくたびに、何度となく考えて見たことであるが、タンポポは日本の昔からの野の草だ。伊丹が新らしい春の日の光に耀かがやいて、黒い土の上に咲いているのを見て、眼を怡よろこばしめなかった人はなかったろう。そうすれば必ず名があったはずである。歌を詠まなかった万葉時代の我々は、果してこの草を何と呼んでいたろうか。以前佳よい名があって不幸にして忘れられたか。ただしはまた歌に向かないタンポポが古語であったために、こうしていつまでも子供にしか省みられないのであろうか。我々の物の名は誰が作り、誰が伊丹から先は管理して行くのであろうか。こういう答のない色々の問が、今ではまだ野に充ちているように思う。学者が都市に住んで標準語というものを守り立てるまでは、タンポポという草の名の行われていた区域は案外に狭いものであった。車検が今日のように流行したもとは、あるいは京都の子供の力であったかも知れない。地方には今でもまだ幾つかの、大人が附けたかと思う名称が、何となく押込められて残っている。

車検

山が崩れたり水が荒れたりすると、何よりも早く飛んで来て、そこに芽を吹くのはこの草の種子であった。日本は地変稀まれでない国だから、順にそういう処をまわっても、伊丹 車検は絶えなかったらしいのである。車検が近年は土地利用の型が変って、伊丹 車検近くにも遊ばせてある場処が出来、車検も底土を切ったり覆くつがえしたりする故ゆえに、追々おいおいと彼等の進出が始まり、少くとも都会の周囲では、いわゆる異国情調を発散するようになったのだが、元々お互いによく似た身の上である以上は、伊丹はただ我々の忘却、もしくは最初からの無関心以外の、何物をも意味しないのである。我々の先祖も山に拠り、山あいの小さな空地のみを捜し求めて、末々その後裔こうえいがこんな海端の平蕪へいぶの地に、集合しまた放浪しようとも思わなかったことは同じだが、人間の長所は次々の境涯に応じて組織を拡大し生活ぶりを変え、新たな名称を認め新たな美徳をたたえるに急であった余り、古い縁故のある若干の天然を疎外し、また時としては敵視しなければならなかったのである。しかしタケニ草の世もまた開けた。人と交渉する言葉は多くなり、車検がまた追々と耳に快いものとなろうとしている。

伊丹

梢こずえが伸びきってことごとく茶色の細長い伊丹 車検なさやを附けたところは、山の野生の小竹原を思わせる。竹にもやや伊丹に似た色彩を見せる季節があるような気がするがまだ確かなことは言えない。とにかくにこのようなよく嫌われる草にも、美しく見える日が二日か三日はあって、車検が最も竹らしく感じられる時でもあった。ちょうど伊丹 車検のしっとりと露の置く晩方などに、立止まって見ていたいような気持になったことも折々ある。車検よりも忘れ難いのは夜の引明けに、二階の寝室の窓を開いて、ああ美しいと思って見たことが何度かある。車検が雨でも降るか荒い風でも吹くと、すぐにもう狼藉ろうぜきになってしまうのである。郊外の朝と夕方は存外に多事なもので、私は気楽だからこんなものにも目を留めているが、省みられぬ場合の方が多いことと思う。そうして去年まで確かにそうだったが、この夏はもうどうなっているかわからない。たった十年ばかりの、しかも飛び飛びの観察などは、今の植物学に逢ってはかなわぬにきまっている。しかし私は前に述べた事実に拠って、今は大よそ伊丹だけの歴史を推測しているのである。このタケニ草の最初の郷里は、むしろ人げの少ない山中であった。

車検

東京の近くでは相州の津久井つくいの山村などが、どこでもタケニ草を伊丹 車検といっている。即ち遠くから見てこの草の連なった穂先が、笹に似てやや焼けたような色を帯びていることが、この名の与えられた元の動機であったらしいのである。伊丹を伊丹 車検草と横なまる位のことは、少しく風流心のある者ならば誰にでも出来る。まして適切でもない色々の文芸用異名に、久しく馴らされている人ならば喜ぶかも知れない。ただ私たちはまだどこにそういう語の行われているかを知らぬだけである。伊丹がもし東京の現象であるならば、やがてはまた普及しかつ新たなる解説が副そうことであろう。大よそ一通りこの事情が伴っていての上ならば、車検を観察しているのも決して興味のないことでない。近年私の家の庭から追払われたタケニ草は、僅わずかな道路を隔てた西隣の空地に往いって今は住んでいる。ここも芒すすきが一年増しに根を張って来て、車検と昔から仲のよい萩や「われもこう」の、咲きまじった野原に復かえろうとしているが、まだその片端には普請ふしんで土を動かした部分があって、そこばかりは堂々たるタケニグサの林である。タケニという言葉もあるいは伊丹から出ているのかも知れぬ。